ひかりとかぜのとおりみち

Q & A

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写真に限らないことですが、何かを表現しようとするとき、内なる自分を相手に、長い、無言の対話が交わされます。「無言」ではありますが、そこで交わされる言葉の数からすれば「喧しい」と形容してもおかしくない、肯定と否定とが幾重にも折り重なった、終わりのない対話です。
一方で、現実の世界において、生い立ちも考えも異なる他人と交わした会話が、自分の内部ではまだ明瞭に形を伴っていなかった言葉や感覚を呼び覚ますことがあります。
昨日、写真展の会場で、
「いつ頃、どういうきっかけで、こうした写真を撮るようになったのですか? こうした写真を撮るようになる以前は、いわゆる『写真らしい写真』を撮っていたのでしょうか?」
と訊かれました。
今回の「音のない言葉」の写真たちは、ご覧になった方はおわかりのとおり、写真作品というよりも、版画や抽象絵画を思わせる表現が多くを占めています。中には「カメラを使って撮った」ということが唯一、写真である証のような作品も含まれています。
「もちろん、以前は、ごく普通の写真を撮っていました。今でも撮ります」僕は答えました。「いつ頃、どういうきっかけだったかは、自分でもよく覚えていません。ただ、写真を撮るという行為を続けてゆく中で、自分が出会った美しいもの、写真によって表現したい何ものかを、より純粋に、より美しく表現しようと努めているうちに、いつの間にかこのような形になった、そう思います」
振り返ってみれば、このようなことを率直に質問され、答えたことは、今までにない経験でした。何となく(自分の中では当たり前のように)考えていた中味が、思いがけなく形を与えられました。ありがとうございます。
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by on-dori | 2014-02-24 19:54 | E-M5 + SIGMA60mmF2.8