ひかりとかぜのとおりみち

認識と揺らぎ

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今年もさまざまな形で写真の展示を行いました。来年も続きます。
いま、自分が写真を通して何を現そうとしているかを考えてみると、それは「認識することへの問いかけ」なのだと思っています。ちょっと小難しい言い方になってしまいましたが。

「音のない言葉」は「なぞなぞ」の集合体です。
見た人は「一体何を撮ったのだろう?」と考え、来場者同士で語り合い、作者やギャラリストに質問し、最後に「自分にはこう見える」という答えを出します。ある意味ではロールシャッハ・テストのような写真展だとも言えます。実際、銀座での展示では、来場者の方々と会話を交わす中で、その方の持つ写真観やものの見方が明瞭に伝わってきた感触がありました。
もちろん、敢えて喋り言葉や書き言葉にしなくても構わないのです。作者としては、見た人の心の中に浮かんだ言葉にならない感情や感覚を、そっくりそのまま受け止めてもらうのが一番だと思っています。それこそが「音のない言葉」というタイトルが持つ真の意味なのですから。
二度目となる「音のない言葉」展は、来年2月後半、福島市内の「珈琲楓舎」にて開催予定です。

「そのときの光」は、僕にとってエポックとなった作品展でした。
展示した写真は、自分でも驚くくらい普通の写真ばかりでした。一枚の写真として見たときにインパクトの強いものが見当たらず、DMにどの写真を使ったらよいか最後まで迷ったほどです。
ですが、会場全体を一つの作品として捉えたときに、極めて強い求心力と輝きを発してくれました。
一つには、容れ物であり被写体となった木造校舎の力が大きかった。
さらに「撮影した写真のプリントを、撮影したその場に展示する」という、どこか人を喰ったようなコンセプトが、事前に想定していた以上に「写真を撮る/見る」ことの本質を浮き立たせてくれたように思います。
特に興味深く感じたのは、来場者の皆さんが、僕が作品を撮影したその場で、撮影された写真が展示してあるその光景を、自分のカメラで写真に収める行為をしているのを見たとき、です。何やら回りくどい表現になってしまいましたが、この合わせ鏡が作り出す入れ子のような情景に、作者は軽い目眩を覚えました。
「そのときの光」展が何を表現しようとしていたかは(以前にもご紹介しましたが)Mark Yuさんがブログで的確にまとめてくださっていますので、是非ご一読ください。
http://blog.taipeimonochrome.com/archives/1836

さて、来年1月から始まる公募企画展「Sha-gaku vol.7」です。
出展作品である「a picture」は、スーパーリアリズム絵画を意識して制作した一枚です。
会場でプリントを見る方の多くは、恐らく「絵みたいな写真だ」と感じるのではないかと思います(今回に限らず、僕の写真は「絵のようだ」と評されることが多いのですが)。
でも、スーパーリアリズム絵画って「まるで写真みたいだ」という感想を漏らす人が多くないですか?
つまり、今回の作品は「『写真みたいな絵』みたいな写真」なのです。それって意味を縮めてしまうと「写真みたいな写真」ということになりますね。
あれれ、最初は「絵みたいな写真」だと感じていたはずなのに・・・。
この写真(?)の前では、「絵とは」「写真とは」という意味と視点とが裏返り、揺らいでいます。いや、本当は、世界のどこにあっても意味と視点は裏返り、揺らぎ続けているのですが。
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by on-dori | 2013-12-20 22:51 | DP2 Merrill