ひかりとかぜのとおりみち

リアリティの在処

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福島県立美術館には、アメリカの画家アンドリュー・ワイエスの優品が常設展示されています(それらを見るためだけでも足を運ぶ価値があると思います。また、関根正二の油絵、斎藤清の版画、橋本章の抽象画も)。
ワイエスの「松ぼっくり男爵」は、松並木の道端に無造作に置かれた軍用ヘルメットと、籠代わりに使われたヘルメットいっぱいの松ぼっくりと、午後の斜光線、それだけを描いた静かな作品です。ワイエスらしく、恐ろしいくらいのリアリティが、その端正な画面から立ち上って来ます。
「まるで写真みたいだ」と、この絵を見た人の多くは感じるのではないでしょうか。確かに、そうです。
ですが、もし同じ時刻に同じ場所で同じ光景を写真に写したとしたら、きっと、ワイエスの絵から感じられるリアリティの百分の一も生み出せはしないのではないでしょうか。恐らく、もっとだらしなく、緊張感の失われた一枚に終わるでしょう。
写真の場合、「シャッターボタンを押せば目の前の光景がそのまま写る」という原理に単純に従ってしまうと、どういうわけか、かえってリアリティが損なわれてしまうのです。客観的にはリアルなのかもしれませんが、人間の感性に響いてくるリアルには届かないのです。写真が人間の感性に訴えるリアルを獲得するためには、「写真的」ではなく「絵画的」なドラマティックさを要求されるという逆説がそこにはあります(そして、ワイエスの絵に対しては「写真みたいだ」と感じてしまう逆説もまた)。
人の心は、現実が生々しいほど、それをまるで夢のようだと感じてしまうおかしな性質を持ちます。また、反対に、夢の方が現実よりもずっと現実らしく感じられるという事態も起き得ます。人間の、決して秩序立って整理されているとは言いがたい意識は、ときに過去の出来事をどこか遠い未来のように感じ、あるいは、将来起きるかどうかもわからないさまざまな想像を現在に持ち込んで幸せになったり不幸になったりします。
写真とは、そうした不可解とも呼べる人間の心性に極めて近く寄り添う、解析不能なメディアです。
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by on-dori | 2012-10-21 15:19 | DP2 Merrill