ひかりとかぜのとおりみち

夢現(ゆめうつつ)の世界

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少し前に、市内のTSUTAYAから「惑星ソラリス」のDVDを借りてきて、見た。
とても有名な映画だけれど、僕は見たことがなくて、今回が初めて(僕は映画、ほとんど見ないです。年に1本とか、2本とか。まったく観ないままで終わる年もある)。
アンドレイ・タルコフスキー監督のこの映画は、評判に違わぬ物凄い作品で、見終わったあと「これは若い頃に観なくてよかった」と真剣に思った。
若いときに見ていれば、たぶん必要以上の影響を受けてしまっていただろうと思うのが、理由のひとつ。
もうひとつは、この映画には、ある程度年を取らないと理解しがたい面がある。
自分の命が明らかに下り坂に入っていて、けれども一方で、知識や感覚や記憶といったものは刻々と枷のように降り積もる。そして、それらのことはいずれ、死によってすべて無に帰してしまう。時間は横暴であり、同時に、あらゆることに対しての救いでもある。
そのようなことが実感として感得できる年齢になってから見ると(見直してみると)、作者が表現しようとした意図以上のことが画面から読み取れるのではないかという気がした。
あと、監督が意識していたかどうかはわからないけれど、この映画は、世阿弥が起こした「複式夢幻能」の様式にとても似通った構成を備えているとも感じた。
2部構成であるし、主人公はソラリスの海が送り込んでくる人ともそうでないとも判断のつかない(現実世界では既に死亡している)女性であるし、一見主人公と思える男性は劇全体を見届けるためのワキの役割を与えられていて、最終的には主人公の女性を「成仏」させる務めを果たす。背後では、バッハのオルガン曲が地謡のように響く。
「能」は大抵の場合、見ていて眠くなるものだが、この映画にも意識を別世界に向けて遠ざける要素が濃厚に漂っている。能と同じで、半覚醒くらいの状態で見るのが一番楽しめるかもしれない。
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by on-dori | 2012-09-02 13:33 | DP2 Merrill